相模原市議会史

公開日 2022年4月8日

   

1.議会史とは

 議会史とは、その名の通り「議会の活動の歴史(議会が審議してきた内容の歴史)」をまとめたものです。
過去に議会で審議した内容を知ることができる資料として「会議録」がありますが、その量は膨大で、知りたい情報にたどり着くことは容易ではありません。
 また、現在では、会議の開催ごとに「議会広報紙(さがみはら市議会だより)」を発行しているほか、ホームページ等に情報を随時掲載していますので、それによって概略を知ることはできます。
 しかし、過去のまとまった期間について、国内外の情勢などを踏まえた大きな流れや傾向を知ることは、個々の情報に接するだけでは理解が難しいものです。
 「議会史」は、まさにそのような部分を補うものといえ、これまでに、全国の多くの地方議会において、様々な形で編さんが行われました。
 

2.相模原市議会史について

 相模原市議会では、明治22年から昭和54年3月までを編さん対象期間として、昭和58年から平成8年にかけて「相模原市議会史」の編さん事業に取り組み、

 ・資料編Ⅰ(平成3年3月発行)
 ・資料編Ⅱ(平成5年3月発行)
 ・記述編Ⅰ(平成6年5月発行)
 ・記述編Ⅱ(平成7年3月発行)
 ・年表編 (平成8年3月発行)

の5巻を刊行しました。その後は、令和3年現在まで、議会史の発刊には至っていません。
 

3.相模原市議会史(明治22年~昭和54年)の紹介

 上述のとおり、昭和54年4月以降を編さん対象期間とした相模原市議会史、言い換えると、昭和の後期・末期から平成、そして令和にかけての相模原市議会の活動をまとめたものは、発刊に至っていませんが、今後の編さん・発刊を見据え、過去に編さんした相模原市議会史の内容を振り返るのは意義のあることと考えられ、また、多くの皆様に「議会史」について知っていただく一つのきっかけになるよう、ここでその一部を紹介します。

 

(1)相模原市議会史の目次

 目次は、内容の目印になるだけでなく、相模原市議会史のもつ雰囲気を伝えるものと考えられることから、データ化を行いました。

  ①資料編Ⅰの目次[XLS:55KB]

  ②資料編Ⅱの目次[XLS:130KB]

  ③記述編Ⅰの目次[XLS:167KB]

  ④記述編Ⅱの目次[XLS:149KB]

  ⑤記述編における「市議会と市政」の章の内容[XLS:39KB]

  ⑥年表編の目次[XLS:62.5KB]
 

(2)相模原市議会史の特色

 議会史は、多くの地方議会において編さんされていますが、その内容や考え方については、必ずしも全てが共通なものにはなっておらず、それぞれ特色があります。相模原市議会史の形式的な特色としては、大学教授等による学者の方々に執筆いただいたことがあげられます。特に、記述編はⅠ・Ⅱともに1,100ページを超えるものになっており、各執筆者が膨大な資料を読み込み、考察したことが容易に想像されます。
 また、内容面においても、執筆陣による議論を経た結果として、大きく次の3つの特色をもったものになっており、議会史の存在価値を高めています。
 ①村会、町会の議会活動を理解するために、議員の選挙権、被選挙権が大幅に制限されていた時代の「市制
  町村制」、自治権が拡充された戦後の「地方自治法」など、議会活動の背景となる法学的な解説を試みて
  いること
 ②全国にまれにみる人口増加と都市化の課題に対応する行政施策を追跡する意味で、毎年当初予算の上程時
  に行われる市長施政方針演説を全部収録していること
 ③本市の発展過程において欠かすことのできない「町村合併」、「軍都計画」、「工場誘致」、「米軍基地
  問題」などの主要問題について、可能な限りの資料掲載を行っていること

 編さんにあたって参照等した書類・資料(抜粋)[XLSX:13.7KB]

 

(3)相模原市の歩みについて

 ここでは、相模原市議会史資料編Ⅰ「発刊にあたって」の一部(抜粋)を紹介します。

 本市は、農業を中心とした時代を経て、昭和33年の首都圏整備法による第1号の 市街地開発区域に指定されたことなどを契機に工業都市として躍進し、特に全国でもまれにみる人口の急増時代を迎え、急激な発展を遂げました。

 この急激な都市化の進展は、多くの行政上の課題を生じましたが、諸先輩議員の郷土発展の願いと市民福祉の向上のための熱意と英知によって、学校建設や道路整備など幾多の課題を克服し、今や首都圏の広域中核都市として、21世紀に向け力強く発展を続けております。

 私どもはこの先人のたゆまぬ努力によって築きあげられた本市の歴史的過程の中から事実を把握し、本市議会の活動の歴史を知ることが必要であり、これを将来の指針として、歴史と伝統を継承しつつ、健康で文化的な市民生活の実現に努力しなければならないと信じます。

 

(4)記述編ピックアップ(その1) ※令和3年11月掲載
   ~ 明治時代にも伝染病対策が議会(村会)で取り上げられていました ~

 令和2年の1~2月頃から、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の問題が大きくなりました。当初は、感染した患者の濃厚接触者等に対する「PCR検査」から始まり、次第に感染が拡大していく中、人と人との接触を抑えるために「公共施設の休止」や「小中学校の臨時休業」などが実施されました。また、市販のアルコール消毒液等が入手困難になったことに鑑み、本市では、令和2年4月下旬から6月中旬まで、除菌効果が期待できる「次亜塩素酸水」の無料配布が行われました。さらには、官民を問わず「テレワーク(在宅勤務)等の推進」や「押印に関する規制・制度・慣行の見直し」の意識が一気に浸透していきました。一方、国の緊急経済対策としては、「特別定額給付金」をはじめとする各種施策が行われました。なお、令和2年(2020年)は、東京でオリンピック・パラリンピックが開催される予定でしたが、コロナの世界的流行を受け、1年延期されました。

 その後、「新しい生活様式」を取り入れる動きが進み、「ウィズ・コロナ」や「アフター・コロナ」などの言葉も生まれ、しだいに「暮らしや地域経済」を継続的に支援する必要性の認識が高まっていきました。

 そして、令和3年に入ると、日本でも「ワクチン接種(集団・個別)」の体制整備が進み、本市では、高齢者施設に入所・入居している65歳以上の方への接種が4月から始まり、順次拡大され、令和3年11月1日現在で、2回接種済が514,200人となりました。また、7月から8月にはオリンピック・パラリンピックが開催されました。

 現在(令和3年11月上旬)は、いわゆる「第5波」の収束を感じることができる状態ですが、これまでに、相模原市議会では、新型コロナウイルスに関係する質問・質疑が数多く取り上げられました。その詳細は広報紙(相模原市議会だより)などに譲るとして、ここでは、明治時代にも伝染病対策が議会(村会)で取り上げられていたということを、相模原市議会史(記述編Ⅰ)から抜粋して紹介します。

 

 記述編Ⅰピックアップ(明治時代の議会でも伝染病対策)[XLSX:48.2KB]

 相模原市における「第5波」(令和3年7月頃~9月頃)[PDF:621KB]

 

 この中で、「予防委員」という語が頻出しますが、これは、明治30年制定の伝染病予防法に規定された「伝染病予防委員」のことと思われます。(当時の伝染病予防法の条文は、国立公文書館デジタルアーカイブなどで確認することができます)

 

明治30年3月30日 法律第36号 傳染病豫防法

 

第15条

傳染病流行シ若ハ流行ノ虞アルトキハ市町村ハ地方長官ノ指示ニ從ヒ

市制第61條 町村制第65條ニ依リ傳染病豫防委員ヲ置キ檢疫豫防ノ事ニ從ハシムヘシ

但シ市町村會ノ議決ニ依ルノ限ニ在ラス

豫防委員ニハ醫師ヲ加フヘシ 其ノ醫師ヨリ出ツル者ハ市町村長之ヲ選任ス

 

 なお、予防委員が具体的にどのような活動や業務を行っていたかについては、記述編Ⅰからはわかりませんでしたが、別の文献(改正伝染病予防法要義 隔山和三郎 偉業館 1905)によると、「住民をして相當の助力を為さしめ併せて豫防上の知識を養成普及せし」め、また「市町村の代議機關と行政機關との聯絡疎通を保ち両者圓滿の運轉とによりて豫防の奏効を期せむとする」ために置かれていたようです。

 また、伝染病の種類としては「コレラ」を中心とした記述になっていますが、症状としては次のようなものだったそうです。

 

宮川米次「法定傳染病とは何か」(通俗医学講座第4輯 東京朝日新聞発行所 昭和4年)

 

 發病した際のおもな徴候は(中略)突然嘔吐し、下痢が来る、腹痛がある、その初めに吐出するもの、假として出る物は、食物の残渣か、通常下痢便であるが、間もなく米の湛ぎ汁の様な、白い輕く濁った一種特有な臭ひのする水を一時に驚く計り澤山吐いたり、下したりする。然かもその吐くのに普通食當りなどの場合の吐瀉とは異なって餘り苦しみもなく、容易にダアーと吐く、(以下略)。

 さて病人はこの特有な吐瀉及び下痢が一、二回あると、見る見る内に衰弱して、全く無氣力になって終ふ、吾々は之れを虚脱と名付けて居る。熱は低く、屡々平温以下であるに、冷汗を出し、見るからに隠阻な顔をして、この世の人ではない様な容貌になる(以下略)。皮膚並に口は全然渇いて終ひ、皮膚は弾力を失うて摘まみ上げた皺が元に返らない様になって終ふ、尿は全然出ない、聲は涸れて来る、通常この様な特有の症状を現はすものは一、二日の内に死んで終ふか、或は假死の状態になって、半死半生の境を彷徨し、数時間、十数時間生きて居て死ぬのを常とする。(中略)

 以上の外に「コレラ」の病症は色々で、發病後数時間で死ぬ、まるで雷にでも打たれた様に早く終はるもの、或は又高熱を出して一寸「チフス」かと思はれる様なものもあるが、又一方には僅かに数回の下痢位で治つて終ふものも却々に多い。

 

(5)記述編ピックアップ(その2) ※令和4年1月掲載
   ~ 普通選挙制の実現 ~

 普通選挙(かつて、general suffrageを「普通選挙」と訳したようです。suffrageは参政権・選挙権の意味。なお、現在ではuniversal suffrageと言われているようです。)という言葉を意識する機会は、そう多くないかもしれません。

 日本での「普通選挙制の実現」とは、一般的には大正14年に普通選挙法が制定(正確には「衆議院議員選挙法」が改正)されたことを指すものと思いますが、その翌年には市制・町村制や府県制も改正されたことで、村会(町会・市会・府県会)議員についても普通選挙制が導入されました。(つまり、衆議院議員の選挙に関する法律と、地方議会議員の選挙に関する法律が分かれていたことになります。)

 大正14年における衆議院議員選挙法の改正の主な内容は、「選挙人資格から納税要件が撤廃された」というものであり、逆に言えばそれまでは税額(直接国税3円以上)が選挙資格になっていた(政治能力の条件になっていた)ということですので、大きな改正であったものと思われます。(市制・町村制における納税要件については、細かく言うと、大正10年改正時に「直接市町村税納税者」に変わり、大正15年改正時にそれが撤廃されました。)

 なお、この時点での普通選挙は、あくまで「男子」普通選挙に過ぎませんでした。女性を含めた普通選挙の実施は、結果的には戦後になりましたが、すでにこの時点においても女性参政権(当時の言葉では婦人参政権)を求める気運はあったようです。

 村会(町会)議員について普通選挙制が導入された大正15年の町村制改正、そして納税要件が「直接市町村税納税者」となって公民権が拡張された大正10年改正に関する説明が記述編Ⅰにありますので、ここでその一部を紹介します。

 

 町村制の「大正15年改正(普通選挙制の導入)」と「大正10年改正(公民権の拡張)」[DOCX:37.5KB]

 

(6)ピックアップ(番外編)  ※令和4年3月掲載
   ~ 橘樹郡(たちばなぐん)って? ~

 

 相模原市域(4町と合併する前の市域)は、かつて「高座郡」に属していました(現在では寒川町が高座郡に属しています)。

 また、相模原市と4町(城山町・津久井町・相模湖町・藤野町)が合併したことにより、「津久井郡」の名称が消滅しました。

 このように、相模原市にゆかりのある「郡」の名称は高座郡や津久井郡ですが、相模原市議会史年表編のページをパラパラとめくったところ、「橘樹郡」という文字を見つけました。

 

昭和2年7月8日

 相武鉄道 大野村淵野辺・橘樹郡高津間、田名村高田橋・愛甲郡愛川村間 敷設認可される

 

 そこで、神奈川県に存在する(存在していた)郡について、神奈川県会史第1巻(昭和28年3月発行)で確認してみました。

 

神奈川県における「郡」について[DOCX:12.7KB]

 

 なお、「橘樹郡高津」は、現在の川崎市高津区(歴史的には高津村→高津町→川崎市に編入)を指すようです。